離人症になって人生の半分以上が過ぎました!-プロフィール-
こんにちは。
こちらは現実感が失われてからもう14年くらい経ったわたしの、いろいろなことを整理するためのブログです。
特に誰宛てでもありませんが、誰かの役に立つなら、ご自由に。
誰のためでもないなら、日記にでも書けばよいのでしょうけど、誰でもない誰か宛ての方が、個人的に話しやすいのでこちらにします。
自己紹介として、ざっくり自分の人生の流れについて書いていきます。
気づけばもう24歳になる年になりました。
経済的に特に苦労のない家に生まれたと思います。それは今も。
一人っ子で、小さい頃から今も人見知りですが、特別に暗い性格でもない気がします。
同年代とコミニュケーションを取るのは幼稚園の頃からそんなに得意ではなかった記憶です。教室で一人で遊んでいるほうが気が楽だったし、楽しかった気がします。だからといって、誰とも遊ばないほど内気でもありません。
お昼ごはんの時間に、クラスの子に飲み物を聞いてそれを運ぶ、飲み物だけの給食係みたいなのがあったんですけど、自分からそういうのをやるタイプだったし、劇をやるなら主役とか目立つ役をやりたがるタイプでした。根本的には目立ちたがり屋なのだと思います。でもそのわりには恥ずかしがり屋だった気もします。
小学校は、同じ幼稚園の子が誰もいないところに行って相変わらず日人見知りしていた気もしますが、それなりに仲の良い子を作って生活していた気がします。たぶんちょっと変な子だったとは思いますが、対人関係がどうにかなるほどではないです。
さて、離人症を自覚したののはそんな小学生の頃でした。その時は小学4年生、10歳。
10歳は色々とターニングポイントだなと思っています。
10歳の、いつだったかの夜にベッドの上でふと自分の手のひらを見つめてみたら、まるで自分の手ではないような気がして、すごく怖かったことを覚えています。
離人症は現実からの逃避のために起こる脳の防御反応だと個人的に理解しているのですが、その上であの時何があったのかを思い出してみます。
あの頃はちょうど、仲良くしていた子たちに突然ハブられた時期ですね。理由もなく距離を取られて「なんで?」ってなってた覚えがあります。私含めて4人くらいでよく一緒にいました。でもなぜか直感的に、首謀者は1人で残り2人はそれについていってるんだろうなって思った記憶。まあほぼほぼ正解でした。私を仲間外れにしたうちの1人とは、そこから中学時代まで1番仲が良かったので(笑)
ただ、それは一つの要因でしかなくて、原因ではないと思っています。どれかというと離人症になった根本的理由は家族だと自覚しているからです。直接的には父親、間接的には母親です。たまに、兄弟がいたら違ったのかなと思ったりもしますけど、どうでしょうね(笑)
それについてはまた別の記事に書こうとおもいます。
いまおもうと、中学時代が一番いんどかったのかなと思います。思春期なのも相まってですかね。わかりませんけど。
それこそ、10歳くらいからインターネットに触れ初めて、知識を得る機会はあったのてで、自分のこの怖い感覚が何か検索して「離人症」と言うんだと知りました。(これ自体は小学生の時には知っていた気がします)
中学生になって、2年生くらいだったか、ついに限界が来て親にメモ用紙に「精神科に連れて行ってください」と書いた記憶があります。あれは怖かったな。他人に何かを要求するのが得意ではなくなっていて、というかなんなら友達に言う方が楽で、親に自分の気持ちを言うのが一番苦手というか、恐怖でした。それは今も。
それで、それから母親に近くの大学病院につれていってもらいました。どれくらいの頻度だったか覚えていませんが、月に2回くらいは行っていたような、行っていなかったような……。
でもあまり良い方向には向かいませんでした。真っ白な診察室で、言葉に抑揚の少ない先生に、何を言えばいいのかもわからなかったし、言っても理解されると思えなかったから。毎度最初に聞かれる「最近はどうですか」みたいなあの質問になんて答えるのが正解なのか、それは今でもわかりません。
ノートに気持ちを書いてみてと言われたけど、そもそも習慣づけるのがそもそも下手くそでらなかったし、薬を飲んでいた時期もあったけど飲んだ後になんだかぼんやりするなあと思うくらいで何か変わった気もせず。
今思えば、自分のことを何も話していないのだから何も解決されないのは当たり前だろと思いますけど(笑) 当時の私は、病院にいけば何か解決してくれるんじゃないかと思って、でも何もしてくれない先生に不満を持っていた気がします。他力本願がすぎる(笑)
「思春期だから~」みたいなことを言われたのも嫌でした。なんとなく、思春期が終わったもこれは終わらない気がしていたから。案の定ですね。
それから病院には行かなくなりました。
いつだったか、病院帰りに母親とごはんを食べに行って、自分の置かれている感覚について話してみたら、母親が泣いたことがありました。母親としては自分の子どもが何か抱えていることを心配した上で悲しんだんでしょうけど、泣いてる母親を見てぶっちゃけ「気持ち悪いな」と思った自分がいました。というか、めちゃめちゃ困った。別に泣いてほしかったわけではないし、「親に心配をかける」ことが一番嫌だったので。その感情がめぐりめぐって「気持ち悪い」に落ち着いた感じ。薄情な娘だこと(笑)
中学時代は、先生の話をぼーっと聞く時間が一番苦痛でした。授業ならいいんですけど、そうじゃない瞬間ってあるじゃないですか。教室という均質化された空間にただ居る、となると、離人感をすごく感じるんですよね。
話を聞いてる最中に、がくん、と離人感が強くなったことを覚えています。私の現実からの距離の取られ方は、ぼんやり後ろにさがるというより、今いるステージからもう一段階低いステージに落ちるイメージです。そういう風に明確に離人感が強くなったのは、中学のその時が初めてでめちゃめちゃ怖かった。泣きそうになりながら、休み時間に仲の良かった友人のところに行って、現実感をどうにか感じたくて手をにぎにぎしていた記憶があります。
高校生になって、離人症がどうにかなることとはありませんでしたが、まだいくらか落ち着いていたような気もします。というか、だんだんと、って感じで。でもあんまり記憶がありません。離人感が強くなることはあったし(一度そうなったら元に戻ることはありません)、めちゃくちゃ病んでた時もありましたが、特別に何かあった気もしません。正確には覚えていない。
大学生になってから、改めて、一人で病院にいくようになりました。2つくらい行ったかな。どちらも中学生のときよりも離人症に対する理解を深められたかなと思います。一つ目の病院はあんまり記憶がないというか収穫がなくて行くのをやめました。2つ目に行った病院は比較的長く通いました。いままでで一番理解してくれた気がしたし、実際そうだっと思う。自分が気づかなかったことを気づかせてくれたのは事実。ただ、その治療法(?)が何だかとってもスピリチュアルだったので、そこを信用しきれなくて行くのを止めました。あと自分のお金で行ってたので単純に余裕がなくなったとも言う。
そんな感じで大学を卒業して、就活が嫌すぎで就職せずにフリーターをしています。
漠然とした将来への不安以外には特別強いストレスを与えられていないと思っていますが、なぜか最近ちょっぴりつらい。離人感が強くなっていたりする。
なのでこのブログを始めました。そろそろ、根本的にどう対処すべきなのかを理解してきたというか、立ち向かわなきゃいけないと思いました。まずは整理したくなかったことをしてみるということで。
まずはこれくらいにしておきます。
それでは。